上海辰山植物园 English
ケッカクテイ
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ケッカクテイ

  これより、この鏡のような鸳鸯湖(オシドリコ)の上にかかったつづら折りの橋を北へ進むと、古猗园老园景区に入ります。

  さて、皆様の目前に見える山は竹枝山(タケエダヤマ)といい、山顶には空に羽ばたく翼のように見える四角形のあずまやが、穏やかで落ち着いた美しい色あいでたたずんでいます。このあずまやは、建物の東北部分の一角が欠けた形になっており、他の一般的なあずまやとは大きく異なります。実は、ここが上海で有名な愛国主義の記念地“缺角亭”なのです。それでは、歴史を遡って缺角亭の由来をご紹介しましょう。1931年の九一八事变での日本軍による東北三省への侵攻は、中国人民に大きな屈辱をもたらしました。三省陥落の消息を知った南翔の人々は憤慨し、この国辱を決して忘れまいとすべく記念亭を立てることにしたのです。1933年4月に、この地の愛国の志士であった朱寿明(シュジュメイ)、陈少芸(チンショウゲイ)など、六十名が発起人として署名し、建築資金を集めました。民衆も次々と募金に応じ、上海で成功した資本家たちも惜しみなく資金援助をしました。つまり、あずまやの東北部分の欠けた一角は、東北三省陥落を象徴しているのです。残り三つの翼のような角も、一般的なあずまやとはまるで異なる形をしています。こぶしを高く掲げたような形は、中国人民が日本軍との戦いの果てに奪われてしまった領地を取り返すべく強い決意を表しています。このことから、建築後、当時の人々により“缺角亭”と名づけられました。欠けた角には、領地を奪われた屈辱と、愛国心を忘れることなかれという意味が込められています。そして、高く掲げられている“缺角亭”の三文字は、著名な書家である胡问遂(コウンスイ)によって表わされたものです。それでは、石段を降り、西へお進みください。